経世の学、また講究すべし

経世の学、また講究すべし

福沢諭吉

ある人いわく、慶応義塾の学則を一見し、その学風を伝聞しても、初学のはいはもっぱら物理学を教うるとのこと、我が輩のもっとも賛誉するところなれども、学生の年ようやく長じて、その上級に達する者へは、哲学・法学の大意、または政治・経済の書をも研究せしむるという。
そもそも義塾の生徒、その年長ずるというも、二十歳前後にして、二十五歳以上の者は稀なるべし。概してこれを弱冠じゃっかんの年齢といわざるをえず。たとい天稟てんぴんの才あるも、社会人事の経験に乏しきは、むろんにして、いわば無勘弁の少年と評するも不当に非ざるべし。この少年をして政治・経済の書を読ましむるは危険に非ずや。政治・経済、もとよりその学を非なりというに非ざれども、これを読みて世の安寧を助くると、これを妨ぐるとは、その人に存するのみ。

慶応義塾学生諸氏に告ぐ

慶応義塾学生諸氏に告ぐ

福沢諭吉

左の一編は、去月廿三日、府下芝区三田慶応義塾邸内演説館において、同塾生褒賞試文ほうしょうしぶん披露の節、福沢先生の演説を筆記したるものなり。

余かつていえることあり。養蚕ようさんの目的は蚕卵紙たねがみを作るにあらずして糸を作るにあり、教育の目的は教師を作るにあらずして実業者を作るにあり、と。今、この意味をおしひろめて申さんに、そもそも我が開国の初より維新後にいたるまで、天下の人心、皆西洋の文明をよろこびて、これに移らんとするに急なれば、人を求むることもまた急にして、いやしくも横文字読む人とあれば、その学芸の種類を問わず、その人物のいかんにかかわらず、これを用いたれども、限なきの用に供するに限あるの人をもってす、もとより引足るべきにあらず。

黄色な顔

黄色な顔

THE YELLOW FACE

コナンドイル Conan Doyle

三上於莵吉訳

私は私の仲間の話をしようとすると、我知らず失敗談よりも成功談が多くなる。無論それらの話の中では、私は時によっては登場人物の一人になっているし、でなくても私はいつも深い関心を持たせられているのだが、――しかしこれは何も、私の仲間の名声のためにそうするわけではない。なぜなら事実において、私の仲間の努力と、多種多様な才能とはしんに称讃すべきものではあったけれども、それでもなお、彼の思案に余るような場合があったからだ。ただどうかしてそんな場合にぶつかって私の仲間が失敗したような所では、の者もまた誰一人成功したものはなく、事件は未解決のまま残されるわけである。けれど時々、ちょっとした機会から、彼がどんな風にしてその真相を誤解したかと云うことが、後から発見されたこともある。私はそんな場合を五つ六つ書き止めておいた。そのうち今ここですぐお話出来るものが二つある。そしてそれはそれらのうちでも一番面白いものである。

カール・マルクスとその夫人

カール・マルクスとその夫人

宮本百合子

一 カールの持った「三人の聖者」

ドイツの南の小さい一つの湖から注ぎ出て、深い峡谷の間を流れ、やがて葡萄の美しく実る地方を通って、遠くオランダの海に河口を開いている大きい河がある。それは有名なライン河である。太古の文明はこのライン河の水脈にそって中部ヨーロッパにもたらされた。ライン沿岸地方は、未開なその時代のゲルマン人の間にまず文明をうけ入れ、ついで近代ドイツの発達と、世界の社会運動史の上に大切な役割りを持つ地方となった。早くから商業が発達し、学問が進み、人間の独立と自由とを愛する気風が培われていたライン州では、一七八九年にフランスの大革命が起った時、ジャコバン党の支部が出来、ドイツ人でフランス革命のために努力した人々が沢山あった。ナポレオンの独裁がはじまった時、ライン十六州は、ライン同盟を結んでナポレオンを保護者とし、その約束によって商工業の自由も守られ、ドイツの反動政策の圧迫にかかわらず、進歩的な自由思想が充ちていた。

続きはこちら